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名古屋地方裁判所 昭和38年(ワ)172号 判決

原告 真柄幸子 外二名

被告 松浦謙一

主文

一、被告は、原告真柄幸子に対し、金三〇万円、原告真柄幸男、同真柄法子に対し、各金五万円およびこれに対する昭和三八年二月八日以降完済に至るまでそれぞれ年五分の割合による金員を支払え。

二、原告らのその余の請求を棄却する。

三、訴訟費用は、これを三分し、その一を原告らの、その二を被告の負担とする。

四、この判決は、原告真柄幸子において金六万円、原告真柄幸男、同真柄法子において各金一万円の担保を供するときは原告ら各勝訴の部分に限り仮に執行することができる。

事実

原告ら訴訟代理人は、「被告は、原告真柄幸子に対し、金五〇万円、原告真柄幸男、同真柄法子に対し、各金一〇万円およびこれらに対する本訴状送達の翌日より右完済に至るまで、各年五分の金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、

一、原告真柄幸子は、昭和三三年二月七日原告真柄幸男と同真柄法子との間に生れた幼児であり、原告幸男は、藤木海運株式会社に勤務し、月金四万円位、原告法子は、合資会社三河屋の工員として働き、一日金四百円の各収入を得、夫婦共稼で、一人娘の原告幸子を養育しているもの、被告は、松屋商店なる名称で雑貨商を営み、営業用貨物小型自動四輪車(以下単に本件自動車という)を所有するものである。

二、原告幸子当時(満四年)は、昭和三七年一一月一四日午前一〇時四〇分頃(訴状には午前九時と記載されているが弁論の全趣旨によつて誤記と認める)名古屋市熱田区須賀町一八番地合資会社三河屋横出入口附近の道路において、ママゴト遊びをしていたところ、原告幸子の存在に気付かずに須賀通りの本道に出るべく、右道路を約五、五米後退車進して来た被告の運転する同被告所有の本件自動車に衝突され頭部打撲挫創、右耳介部欠損、口腔挫創の入院治療約一ヶ月を要する傷害を受けた。

三、このため、原告幸子は中京病院に、二五日間入院治療したが、右耳の耳朶上部三分の二は切除され、下部三分の一を残すのみとなり、下顎骨が割れて、歯牙を支えることができず、わずかに銀線止めで保つている状態であり、かつ頭部挫創のため今日に至るも、ときどき頭痛を覚え、後遺症がないと保証し難い状態にある。

原告幸子は、女児であるから耳がなければその美容上はもちろんのこと、通学するようになれば耳なしと呼ばれ、その結果、劣等感を抱き、通学を嫌うようになるべく、また長じては結婚の重大な妨げとなり、将来片輪者としての苦悩を背負つた一生を送ることは必定である。よつて原告幸子の右苦悩に対する慰藉料は、金五〇万円をもつて相当とし、またその両親である原告幸男同法子にとつてもその苦悩は甚大なものであるからこれに対する慰藉料は事故発生による次の財産上の損害を含めて、各金一〇万円をもつて相当とする。すなわち、原告幸男は、叙上の事故により、昭和三七年一一月一四日より同年一二月二三日までの間、原告幸子の入院、退院等の附添のため前叙の勤先を九日間欠勤しその日給金一、四〇〇円の割合による得べかりし利益合計金一万二六〇〇円を失い、さらに入院中必要とした毛布、湯タンポ、水枕、自動車代等合計金三、二二五円を出費し、原告法子は、原告幸子の附添のため昭和三七年一一月一四日より同年一二月八日まで前叙の勤先を二五日間欠勤し、その日給金四百円の割合による得べかりし利益合計金一万円を失つた。よつて、原告らは被告に対し自動車損害賠償保障法によつて叙上請求趣旨のごとき損害賠償を請求するため本訴におよんだ旨陳述し、

被告の抗弁事実を否認し、自動車を運転する者は、常にその前後左右に注意し、人身事故が起らないように努むべきであり、ことに後退する場合には後方の障害物を見極めることが困難であるから、助手等を後方に立たせて、その合図により推進すべき義務がある。しかも右事故現場は車輛通行のない横路で幼児が安心して遊びに夢中になつていた場合であるから、特に注意して、後進すべきに拘らず、被告はこれについて何ら安全措置をとることなく、五、五米も後進したため車体によつて視覚が妨げられた箇所にて、ママゴト遊びをしていた原告幸子に気付かずこれをひき倒したのである。したがつて右事故は被告の過失に起因するものであると述べた。

証拠(省略)

被告訴訟代理人は、「原告らの請求は棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求め、

答弁として、

原告ら主張の請求原因事実中第一項と第二項中原告ら主張の日時、場所において、被告が本件自動車を五、五米後退させたためこれを原告幸子に接触させ、同原告に原告ら主張の傷害を与えたことは認めるが、その余の事実はすべて争うと述べ、

抗弁として、

一、被告は、原告ら主張の日時に、その主張の場所に駐車しておいた本件自動車に乗車運転すべく三河屋の左隣の自宅をでて本件自動車の運転台に乗つたのであるが、その際三河屋の出入口附近には原告幸子の姿はなく、被告がエンジンをかけ、五、五米後退したとき、三河屋の右出入口にいた女の子が大声で何ごとかを訴える様子であつたので驚いてエンジンを止め車の前部から後部に廻つてみると、原告幸子が倒れていたもので、その間僅か数秒に過ぎなかつたのである。これは油断して道路の左右を見ることなく、原告幸子が丁度後退しようとしている本件自動車の後方に右出入口から駈け出して来たために本件事故を招いたものであり、また原告法子も当日は三河屋を休み他の用事で原告幸子を連れて出かけその帰途三河屋へ立寄り、他の人との雑談に夢中で原告幸子に対する保護監督責任者としての十分なる注意を払わなかつたため本件事故を招いたものである。したがつて原告幸子並びに同法子に、その過失があり、被告としては本件事故の発生を未然に防止することは全く不可能であつたのであるから被告には全く過失がない。

二、仮りに被告に過失ありとするも本件損害発生については原告幸子並びにその保護監督責任者たる原告法子にも前叙のような過失があつたのであるから、該過失と相殺せられるべきである。と述べ、なお被告は本件事故による被害者が幼児であるため、その責任を感じ原告幸子が入院していた一ヶ月の間ほとんど毎日手土産をもつて見舞に赴いていたのである旨附陳した。

証拠(省略)

理由

一、原告真柄幸男同真柄法子の子、原告真柄幸子(当時満四年)が昭和三七年一一月一四日午前一〇時四〇分頃、名古屋市熱田区須賀町一八番地、合資会社三河屋横出入口附近において、同地点から須賀通りの本道まで出ようとして五、五米位後退させていた被告運転の本件自動車に衝突され、頭部打撲挫創、右耳介部欠損、口腔挫創等の入院治療約一ヶ月を要する傷害を受けたこと、被告が本件自動車の所有者であることは、当事者間に争いがない。

二、よつて、本件事故は被告所有の自動車を被告がその運行に供したことによつて生じたものであるというべきである。そこで被告にその主張のような自動車損害賠償保障法第三条但書の免責事由があつたかどうかにつき検討する。

(一)  先ず被害者たる原告幸子に過失があつたかどうかにつき判断するに、原告幸子は当時満四年の幼児に過ぎなかつたのであるから、同原告に道路交通上の法的注意義務を弁識するに足りる能力のないことは経験則上明かである。したがつて三河屋横出入口付近における原告の行動に対し、過失を認定することはできない。

(二)  次に原告法子の過失についてであるが、成立に争のない甲第五号証の四、証人渡辺信輝の証言、原告真柄幸男真柄法子、被告松浦謙一の各本人尋問の各結果(ただし被告松浦謙一本人尋問の結果はその一部)および弁論の全趣旨を総合すると原告法子は、昭和三四年頃より合資会社三河屋に勤務し、本件事故発生の日時にも原告幸子を伴つて、同店に出勤し、仕事をしていたのであるが、三河屋の前は、いわゆる須賀通りの本道で、相当の交通量があり、それに通ずる三河屋横の道路も車の運行が予想される所であるから、事理の弁別の十分でない四才の幼児である原告幸子が不用意に、右道路に出ることのないよう保護監督責任者として十二分の注意を払うべき義務があつたというべきところ、原告法子は本件事故の際、原告幸子が叙上の道路に出ていたことにも気付かず自己の仕事をしていてこれが監護をつくさなかつたため、右過失が一因となつて本件事故が発生したことが認められ、これに反する被告本人の供述部分は前顕各証拠に対比してにわかに措信できないし、他に右認定を左右すべき証拠はない。

(三)  しかしながら、被告が三河屋の左隣りの自宅を出て、須賀通りの本道をとおり、三河屋横の道路に駐車してあつた本件自動車の運転台に乗つた際、被告においてたとえ原告幸子の存在に気付かなかつたとしても、人の出入の予想される三河屋の出入口前を後退しつつ通過しようとする際には運転手として後方を見極めることが困難な場合は助手等を後方に立たせてその指示を受けるか、少くとも警笛を吹鳴するとかの措置を採り、本件のような事故の発生を防止すべき義務があつたに拘らず、被告本人尋問の結果によれば被告は単に運転台から前後左右を確認したのみで叙上のような措置を採らなかつたことが認められるから、本件事故の発生は被告の右過失がその主たる原因になつたものと解すべきである。したがつて被告には自動車損害賠償保障法第三条但書による免責事由がないから同条本文に定められた責任があり、被告主張の右抗弁は採用できない。

三、よつて、原告らの本件事故による損害について検討する。

(一)  成立につき争のない甲第一号証の一、二、同第六号証の一、二および原告幸男、同法子各本人尋問の結果を総合すると原告幸子は本件自動車に衝突されたことにより、頭部打撲挫創、右耳介部欠損、口腔挫創、左手挫創の傷害を負い、中京病院に入院治療するに至つたが、右耳の耳朶上部三分の二は切除され、下部三分の一のみを残す状態となり、これがため、現在通園中の幼稚園においても園児に耳のことをとやかくいわれるのを恥じて通園を嫌つていることが認められるのである。しからば女性である同原告にとつてはその美容上また将来の結婚についても種々の困難に遭遇することが予想されるので右原告がこれがため受けるべき精神上の苦悩は甚大である。したがつて右苦悩に対する慰藉料は、以上認定した諸般の事情(ただし原告法子の過失の点を除く)および被告本人尋問の結果により、被告において原告幸子の入院中ほとんど毎日のように手土産を持参して見舞に赴いていることが認められるので、この点をも考慮すると金四〇万円をもつて相当と考える。

(二)  次に原告幸男、同法子各本人尋問の結果によると、原告らにはこれという資産もなく、夫婦共稼ぎでその一人娘である原告幸子を養育していることが認められる。しかして、原告ら夫婦が、親として原告幸子の前認定のような不慮の事故によつて甚だしい精神的苦悩を受けたことは、容易に認定し得るところであるから右苦痛に対する各慰藉料は以上認定の諸般の事情を考慮するとそれぞれ金五万円をもつて相当と考える。またさらに原告法子本人尋問の結果によつて真正に成立したことの認められる甲第二号証、同第四号証の一、二および原告幸男、同法子各本人尋問の結果を総合すると、原告幸男において、本件事故により昭和三七年一一月一四日より、同年一二月二三日までのうち九日間、原告幸子の入院退院等の添付のためその勤先である藤木海運株式会社を欠勤し、その日給金一、四〇〇円の割合による得べかりし利益合計金一万二、六〇〇円を失い、更に入院中必要とした毛布、湯タンポ、水枕、自動車代等合計金三、二二五円を支費し、原告法子においては、原告幸子の附添のため昭和三七年一一月一四日より同年一二月八日まで二五日間その勤先である合資会社三河屋を欠勤しその日給金四百円の割合による得べかりし利益合計金一万円を失つたことが認定できる。

四、ところで前認定の保護監督責任者としての原告法子の過失は、その子である原告幸子およびこれが同じ責任者である原告幸男の損害についても参酌すべきものと解するべきであるから右過失を被害者側の過失として参酌するときは、原告らが本訴において、被告に対し請求できる賠償額は、前認定の金額の内、原告幸子に対しては金三〇万円、原告幸男、同法子に対しては各金五万円をもつて相当と考える。

五、よつて原告らの本訴請求中被告に対し、原告幸子において金三〇万円、原告幸男、同法子において各金五万円およびこれに対する本訴状送達の翌日であることが本件記録に徴して明らかな昭和三八年二月八日以降右各金員完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分は正当であるからこれを認容するが、右各金額を超える部分は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条、第九三条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 木戸和喜男)

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